ヒダカサツヤ
雲母の南、『楽園』と呼ばれる遊興に耽る花街の中で、一際華やぎを見せるのが『松屋』の芙曄(ふよう)太夫、それに続くは『鈴屋』の月詠(つくよみ)太夫。どちらの花が美しいか、男たちは議論を戦わせる。簡単に言うと、
『迷うなァ〜妖艶(セクシー)なの、可憐(キュート)なの、どっちが好きなの〜?』
というヤツだ。
「お前さんはどっちの太夫が美しいと思う?」
「そりゃあ芙曄太夫に決まってらァ。楽園一の松屋の看板しょってんだ。並みの美しさじゃあそうはなれねェよ」
「いやいや、月詠太夫は今がまさに女盛り。それでいてどうだ?こう、気品があるというか…」
「何を何を!織苑(しおん)太夫には敵うまい。今や女将となってしまったが、十分美しい」
「現役を退いたならそれは過去の栄光というヤツよ。当世の美女はやはり芙曄太夫だろうよ」
男たちが議論を戦わせる間を一匹(ひとり)の若者が通りぬける。
「…ほぅ。月詠の顔なら今見てきたが――そんなに美しいのかい?その芙曄という花魁は」
若者の身なりはどう見ても高貴な公達といった装束。供も連れないでこんな所に来るのは命知らずも良い所だ。
「よぉよぉ、兄ちゃん。今、月詠太夫の顔を見てきただと〜?」
「あぁ、見なれている。何ならお前達にも見せてやろうか?」
「何だと〜?」
若者は懐から紅を取り出すと、目尻と口元に差した。
「どうだ?月詠と瓜二つの顔だ」
男たちは若者に見惚れた。それはまさに道中の際に垣間見た太夫のそれ。
「若さんは一体…?」
「半分だけ血の繋がりがあるのだ。月詠は私の姉なる女。
先程、問い質して確認した所だ。
だからといって請け出してやるつもりもないし、向こうもそれを望んでいない様だから、このまま留まるのだろうね…」
男たちは胸を撫で下ろした。傾城(アイドル)が減らずに済んで一安心だ。
「これからも贔屓にしてやっておくれ」
若者は懐紙で紅を拭うと男たちに『松屋』の場所を訊いた。
翌日、楽園一というだけあって『松屋』はなかなかの構えだった。
「どなたのご紹介でしょうか?」
「紹介…そうだな。確か、ここは『疾黒(しっこく)の御方』が懇意にしているとか…」
「あの方をご存知なのですか?」
「義理の伯父にあたる故、面識はある」
若者は持っていた巾着を放り投げた。ガシャンと重い音が響く。
「これでは足りぬか?芙曄太夫にお目にかかりたいのだが?」
中身は全て金子だった。それを見ては断る理由は無きに等しい充分な花代だった。
通された部屋には花魁のみが待っていた。
「さて…こちらの流儀では初会からこんな風に二匹になれるのかな?無理は通してみるものだね」
「……」
「あぁ、言霊を交わすのは馴染みになってからだね。そうだ、筆談でもしようか?」
懐紙を取り出し、文机の上の筆を取ってサラサラと書き付ける。
「音に聞く華のかんばせ今宵見む、ほのめく色に我、染むらむや」
(訳:ウワサに聞く美しいそなたの顔を今夜見に来たよ、チラリと見せる美しい姿に果して私は心を動かされるだろうか?)
「美しい女も――それから男も。
飽きるほどに見なれているのだ。
どうにも未だに心を動かされるような相手にお目にかかれなくてね。
貴女はどう?私は貴女から見てどの様に映るのかな?」
自信が満ちた微笑みは誰の目で見ても魅力的だろう。
生娘なら間違いなく熱を上げる美貌だ。だが、さすがに、太夫の心はそう簡単には動かせない。
『ほのかにも見ゆる光は久方の月にぞ似たると我思ひける』
(訳:ほのかに見える光(=貴方の顔)は月(=月詠太夫)に似ていると私は思う)
サラサラと流麗な筆跡で懐紙の横に書き付けた。歌の返しというより、問い掛けへの答だった。
「当たり。彼女はどうやら私の姉らしい。
血の繋がりは半分だがね。
この間、形式通り三回通ってようやく話をしてみたら向こうも気が付いていたみたいでね…」
新しい懐紙に絵を描く。似せ絵というヤツだ。
「これは私。それにこうしてみると…」
絵姿に紅を差す。
「月詠太夫。笑える程に瓜二つなのだよ。見た目は同じだが、中身は全く違う。面白いと思ったよ」
ゴロンと寝転がって太夫の膝に頭を乗せる。
慣れ慣れしいと振り払っても良かったのだが、不思議とそんな気が起こらなかった。
若者があまりに子供のような態度に出た所為だろうか?
「そして、お別れをした。もう逢う事はないだろうと――
逢おうと思えば鏡の中で逢える事に気が付いたからね。
そうしたら、街の男たちが話してるのを聞いてね。
貴女の事を知ったら、興味が沸いた。
実は先代の芙曄太夫には少しばかり縁があって…私の祖父が馴染みの一匹だったそうだ。
その名を継いだ貴方に逢ってみたくなった」
若者は整った美しい指先で太夫の顎に手をかけた。
「形式に則ってまた近い内に来よう…次は言霊を交わせると思って良いかな?」
唇にツイッと指を滑らせると、若者は身体を起こして立ちあがった。
「また来るよ…芙曄」
帰り際、振り返って笑った表情はどこか子供じみていて、不意に笑いが込み上げてきた。
送り出す為にそのままお辞儀をしたので相手には表情は見られなかったようだ。
「若さん、本当は真っ白な御心なんしょう?」
染まりたいというには余りに無防備な心。芙曄は困ってしまう。
(御商売になりんせん相手ではなし――なれど…)
彼が求めているのは金で買える一時の夢ではない。
おそらく、無意識で手練手管をかわしてしまう。
厄介な相手に気に入られてしまったと芙曄はため息を零した。
だが、一方で安らいだ気持ちがあったのも真実。
素の自分に直接触れてきたのは事実。
(裏を返して…言霊を交わしィんしたら、次は…)
考えると頭が痛くなってきた。
(どうしましょ?イヤや…こないに厄介な相手、馴染みにしんしたらわっちの身が…)
ため息混じりに散らされた懐紙を見遣る。
「嫌いとは違うんやけど、なァ…」
そっと懐紙を摘み上げて文箱の中にしまう。そして、言霊を紡いだ。
「茜さす君の御名は知らずとも、藤のゆかりの香ぞ聞こゆる」
(訳:若さん、貴方の名前は知らなかったけれど、藤(=藤壺)に縁のある血筋の方だとは存じてましてよ)
若さん=不知火刹那(しらぬい・せつな)です。
通称:茜の君。
有明の君こと皓都様のご長男です。
今のところ殿上童で、実年齢は13歳。
昔の設定では9歳だったんだけど、この子の性格変えてみたら無理になったの。
外見年齢は普段は10歳前後、この話では16歳です。
この子は狐の一族の中の異端児でして、
結構ワイルドな性格をしております。
(喧嘩っ早いともいう…)
あと、祖父と父が嫌いです。
東宮(雷煌)は好き。
雷霆の事も好きそうね。
花魁の言葉に大苦戦…。
時代劇見るのは好きだけど、江戸時代って嫌いなんよ。
やはし平安〜鎌倉が好きだァァ!
芙曄太夫はちゃんと刹那が子供なのに気付いてますよ。
だから、困ってるの。
「大人ぶっちゃってさ。でも、憎めない子…」ってカンジかな?
添い臥し(初体験の相手)が太夫じゃ問題あるからね!
でも、刹那たんは諦めないのである。
最初、輝羅じいちゃんの話にしようかと思ったんだけど、
あの人、未だに掴めないからパス!
年の差カップル大好きなんで、がんばっちゃいました♪
もちろん、これはフィクションですよ。
【解説】
「音に聞く華のかんばせ今宵見む、ほのめく色に我、染むらむや」
(訳:ウワサに聞く美しいそなたの顔を今夜見に来たよ、チラリと見せる美しい姿に果して私は心を動かされるだろうか?)
『見る』は本来『寝る』と同義なんです。ですが、今はまだその段階じゃないですよ。
『色』と『染む』はもちろん縁語だ!
『色』は『美しさ』、『情事』の二つのイミがあります。
つまり、『染むらむや』は『(心に)深くしみる』のほかに、
いわゆる『初体験をする』というイミにも取れてしまうのですよ!
きゃっ、刹那たんたらおマセさん☆
『ほのかにも見ゆる光は久方の月にぞ似たると我思ひける』
(訳:ほのかに見える光(=貴方の顔)は月(=月詠太夫)に似ていると私は思う)
『久方の』は『光』『月』(光と月は縁語だよ)にかかる枕詞です。
『〜ぞ、〜ける』は係り結びになっとるかんね!
「茜さす君の御名は知らずとも、藤のゆかりの香ぞ聞こゆる」
(訳:若さん、貴方の名前は知らなかったけれど、藤(=藤壺)に縁のある血筋の方だとは存じてましてよ)
『茜さす』は『君』や『紫』にかかる枕詞だよ。
『藤のゆかり』――
まず、藤=藤壺なんです。
で、『藤』は『紫』、つまりは『ゆかり』――掛詞ですね!
『藤の香』で『藤壺の血縁』という事を匂わせておいて、
最後、『聞こゆる』ですよ!
『香』は『聞く』んです!ここも二重に意味がありますね!
もちろんここにも『〜ぞ、〜ゆる』で係り結びになっております。
どう?これが僕の専門分野(平安文学)の賜物です。
我ながら、気に入ってます。
こういうやり取り大好きなのよ!